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H18(2006)入院手術の経緯


まずは入院相談から

■H18.10.14
○山先生に相談.まずは,ご挨拶,急ぎ具合の確認と入院する病院,治療他の方針を,検査結果見ながら相談.○山先生の山○病院に入院することし,腹腔鏡手術でなくて確実な開腹手術を選択
■H18.10から11.11の入院まで
  • 入院前の検査を実施.胃,腸の内視鏡,血液検査,CT,レントゲンなどなど..手術に向けての餌(栄養剤)もいただく.入院前に出来ることは全てしましょうと言うことで,仕事をほっぽり出して病院通いをしてしまいました.ごめんなさい.勝○先生,佐○木先生,○倉さん,教室の先生方には心からお詫びします
  • 内視鏡検査では,胃は荒れているそうで,若干胃炎気味.この間と少し違う印象.腸の内視鏡で問題のポリープに再会.事前に少し予習していた悪いやつの顔つきしている気がして,また,いろいろな箇所の組織を取っているので部位によっては健全なのかなと思って,「どの辺が癌ですか」って聞いたら「これ全部ですよ」の答えでした.しゃれではなく本当にガーン
  • 何を取って何を残しておくかは大問題で,再手術しないようにしましょうね.は良いんですが,..

入院して事件の始まり
 
11月14日に手術をすることはすでに相談した時点で決めていました.入院から3日間は週末を挟んだこともあるけど,のんびり手術へ向けて離陸体制に入っていきました
  • 勝算は高いって言葉に安心
  • 普通食は直ぐに終わり,手術用の食事(たぶんは豆乳主体)にかわる.全部腸がある状態での食事はもう無いと思うと感慨深い
  • 手術の日前に硬膜麻酔の説明を受けるけど,想像は出来るものの初体験で何が起きるか分からない
  • だいたい何処をどう切るのか事前に聞いていなかったのは失策でした.おなかの上から一直線にしたまでがばっとやるそうで,その周りの体毛を感染防止のために看護師さんに剃って貰いました.おへその周りの毛が無くなってかわいいお腹になりました
  • テープのアレルギー反応も調べて,結構アレルギーが出るので驚いた
  • もちろん,浣腸は当然で,手術当日早朝の温水の浣腸で準備完了でした

手術着に着替え,ストレッチャーに固定されるともう天井しか見えず,まな板の上の鯉状態です.行ってきますと挨拶し,押され気持ち悪いくらいてぐるぐる動いて手術室に向う.手術着姿の○山先生にのぞき込まれ「さあやりましょ」と,良くある手術の照明の下で手術着を全部剥がされ(はぎ取られ)手術の始まりで,エビ状に体を丸くして麻酔が始まると.................

....気がついた...
気がついたら,5時間経っていて全て終わっていました.点滴が3本,手術後のドレイン,尿道管,酸素,痛み止めなどチューブだらけで,腹は甲羅のように硬直している感じで,少し動けば痛みが走り,やられたって思わずつぶやきました.
通常はそのままICUに入って翌日から歩き始める事になるそうだけど,この病院では翌々日からだそうで,そのまま病室に戻りました.起きるのが一苦労で,チューブを整理しながら,肘を使ってヨイショッて感じでした.ただ咳をすると響くこと響くこと,結構辛い.それでも歩くことが仕事の日々でした.
それで手術はどうだったかというと,盲腸を含め上行結腸と横行結腸の一部を摘出(要は私から見て右半分の結腸を切ってしまった),リンパも何群か郭清,関係の臓器も丁寧に調べたそうでした.上行結腸が何故か短かったそうで,手術に付き添った家内の言によれば腫瘍はイソギンチャクみたいで結構大きく見えたそうでした.先生は25mmとか30mm大とか言っていて,すべて取り切ったと思うと言われたそうです.手術後しばらくは切り口はでかいテープに隠れて分かりません.

手術翌々日から本当にほんの少しずつですが歩き出しました.医学の進歩に感激した次第です
痛み止めとか,アレルギー止めとか,口内炎とか,患者の我が儘に昼夜を問わず丁寧に対応してくれた看護師さんには頭が下がる重いです.感謝しています.病室の窓から見える東京ミッドタウンがきれいでした.

どんどん,尿のモニタ,ドレイン,静脈のチューブなどなどがとれていって,まず最初に便として出てくるのは手術の名残の固まった血液ででした.手術跡がでかいテープで覆われているのも医学の進歩のようです.
ガスがでるとともに,手術後6日目の重湯から始まって一日ごとに堅くなる食事にはこんなの食べて大丈夫かと思うほどの早さで食事が変わっていきました.手術後5日目でシャワー,下半身浴が出来,お風呂も直ぐに入れるようになって,湯船につかると人心地つきました.そうこうしているうちに,手術後10日あまり,入院期間16日で退院しました.薬も特に飲むこともなくて,何もなしと言うことで,退院でした.お見舞いに来てくれた皆さん有り難う.早く退院しすぎて退院後に来てくれた谷先生にも御礼申しあげます.

不安といえば不安だけど,先生のおかげか終始前向きだったような気がする.馬鹿なことだけど,実は本当にたいしたことではないと思っていた.手術後,本当に切れている手術跡があるのは唯一のショックだったかな.それにしても私にとって劇的な2006年11月だったことは確かです

退院と言うことで入院後初めて冬の娑婆の風に吹かれて帰るのは結構きつかった.

自宅での療養

家内が気にして刻み食を用意してくれたけど,食事制限は一度にたくさん食べないことだけで特になしで,何を食べても買わないということでした.しかし,しばらくの間長く歩くのは結構辛くて,そうはいってもどんどん歩く必要があって,決死の覚悟で1km程度離れた駅まで行ったのは退院後一週間以内だったかな.必要な自宅療養は2週間だったんだけど,季節を考慮して少し長くして貰いました
退院後2週間ちょっと経った12月18日に車を運転して大学まで出かけた.カーブ毎に内臓があっちへよったりこっちへよったりするのが分かって気持ち悪かった.内臓ってどんな具合に体にくっついてるんでしょうね
特別なことは何もなしなので,検診だけがペースメーカで,1ヶ月後のあとは2ヶ月後で,それ以降は5月,11月の6ヶ月ピッチになってしまいました

内緒ですが,完全に抜糸がすんだあとで切り端がちょっと残っていて自分で抜きました.これは愛嬌ですね

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