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H18(2006)入院手術の経緯(入院まで)
経験したことのない入院手術をすると記録に残しておきたくなるもんで,読んでいただく方々にはどうでも良いことが多いとは思いますが,メモしておきます.思い返せば,紙一重だったかなというのが正直な気持ちです

入院までの経緯

30代から人間ドックを受けていた希有な人で,脂肪肝,γーGTPとかGOTとか脂肪肝とか太りすぎ以外は,特に問題が無くて,時々便の鮮血反応が陽性になることがあった.実は30代半ばに体重を20kg弱減らしたことがあって,そのときは健康診断(ドックです)で誇らしげだった.けど,数年経つと同じところで受けていても過去の記録はなくなるので,太り気味ではあったのだけど「太りすぎです」といわれ,切れてしまい体重を元に戻したことがあった.それ以来何となくいわゆる医者の面接は,資料を余り見ず機械的に対応しているおざなりな感じが強くなって,あんまり真剣に受けとらなくなっていました.

■数年前の出来事
  • いわゆる腸バリウム注腸と腸内視鏡を初めてやったのは10年ほど前で特に問題はなかった
  • 近所の病院(少し大きな病院で行きつけ)で注腸をしたのは数年前だけど,医者が中国系で問題なさそうなことは分かるんだけど,細かいところは意味不明で,まあ良しとしてしまった
  • いずれも,消化器のどこかで出血があると潜血反応があるとか,痔かもしれないとか,と言うことですませてしまったけど,便の検査の進歩と「どこかで出血」を,振り返れば軽く見落としていたかもしれない

■2004,2005の出来事
この二年は不幸な事,事故が続いて,
  • 2004年には7月に健康診断を受けたとても懇意にしていただいた先生が,癌で12月になくなってしまった.
  • 2005年の暮れには,同じく可愛がっていただいていた先生が,箇所は違うものの同じように,同じような時期に時期に急逝されてしまった
  • 同じく2005年には前日夕方立ち話をした先生が翌朝突然死をしてしまった
  • 2006年7月には横浜での国際会議中に分野の大御所が脳溢血で倒れてしまった.幸いにも今はお元気
こんな訳で,気をつけなければいけないなとは思っていましたが,繰り返すけどBMIでも確実に太りすぎ以外は50になっても極めて元気で,口が悪い,容姿が悪い,頭も悪い以外は特に自覚症状無しでした

見つかる以前の経緯

■2005年の健康診断
 例年のように盆明け8月16日に健康診断を受け,いつものように太りすぎ,潜血反応が+−ということなんで,内視鏡検査を勧められたけど,まあいいかで暮れを迎えました

2005年12月の内視鏡
 不幸が続いていたので気になって内視鏡検査を受けることにしました.病院は親父殿が亡くなった(彼が信頼していたという方が正しい印象を与えると思う)茅ヶ崎駅南側の大きな某病院を選びました.特に具合が悪いわけではなかったので紹介状なしで,内科の診察をしていただき,腸内視鏡の予約をしました.検査の手順は特に特別なことなく事無く,痛み止めを打つかどうか聞かれたくらいで,以下の通り
  • 当日自宅で腸の洗浄剤を飲み,きれいになった時点で,病院に出向き,内視鏡検査をしました
  • 「ハイ失礼します」を合図に,ズズッとカメラが腸に入っていき,直腸でちょっと止まってあとずうっと先までとどきました.
  • 引き上げながら,直腸で止まったところに戻って,「これ取りますか?」といって「パチン」といった感じでポリープを除去,サイズを聞いたら5mm以下ということで,生検に回されました.
  • 検査結果を聞きに,内科を再度訪れ,結果を聞きます.サイズを再度聞いたら,30mmと言われて,医師への不信感が増してきました.ただいずれにしても異常は特になしでした.
が,ポリープ除去で2005年の忘年会は全部無しと言うことに相成りました

見つかるまでの経緯

■2006年の健康診断
 例年のように盆明け8月16日に健康診断を受け,いつものように太りすぎ,潜血反応が+−ということなんでしたが,こんどは少し真剣でした.けれど,その日の午後から台湾へ学生を連れて現場見学へ出かけなくてはならず,健康診断後,成田へ直行しました.台湾では結構いろいろなことが起きたけど,まあ無事にすますことが出来ました

■2006年9月の内視鏡
潜血反応が出ているので内視鏡検査を受けるべく,前年末に検査していただいた(若干信頼感を失っていたものの..)病院に出向き,今回は胃と腸と両方を検査をすることにして,検査日を予約しました.まだ,前の検査から9ヶ月しか経っていないのでたいした問題は起きないだろうと楽観的でした
■胃カメラ
 初めての胃カメラで腸をやったカメラと同じようなんで大丈夫かなと不安に思いつつ,ゲポゲポやってすませました.「健康な胃でした」でおしまい
■腸カメラ
 前年暮れにやっているので慣れた手順で粛々と検査に望みました.ところが,ズズズッと入っていって横行結腸から上行結腸に進むあたりで,丸いぽっこりした目立つポリープがあるではありませんか.先生は取ろうと試みましたが(取ろうと思う程度のサイズだとこのときは思った),生理食塩水を注入して浮かせようとしても「しっかりした感じ」とかで組織を生検に回すと言うことに相成りました.「悪いものですか?」の問いに,「悪いものである可能性があるので生検です」の答え,ガーン
■内科診察,検査結果の面談
 10月に入り嫌な感じがしましたが,出向きました.待ち時間も長くなくスムーズでしたが,先生の前に座るやいなや即座に「至急外科と相談してください」との指導を,「風邪ですね」と言った診断も同じようにするのではないかと思うほど(深刻な顔をされても困ると言えば困る)素っ気なく食らいました.その瞬間,思ったことは,月並みだけど,家族のことや我が家のことで,「心配するだろうな」と言う気持ちより,「万が一の時には困るだろうな.迷惑をかける.急ぎ対応が必要だろうな」という感覚でした.目の前が真っ暗というか,頭の中が真っ白といのは少し後のような気がする.万が一の場合のいろいろなことが頭の中を駆けめぐり,「今度は私か?」というのは大きなショックで来て,この病院での入院手術は断って,紹介状を抱え病院を探す事になりました.もう受付時間が終わろうとしているに,良さそうに思えた病院に出かけそうになったり,動揺はかなりのものでした.いろいろな,親父殿からの引き継ぎや対応すべき事など,未整理,整理を問わず資料に入っているパソコン系のパスワードを全部外し,あとで誰でもしらべられるようにしたのはこの頃です(今はそうではないよ.念のため).

おまけ
この10月はいろいろなことがおき,まずは「こけて人差し指を骨折」,「携帯を雨の中に投げ出し没」「変えた携帯が液晶不良で交換」「さらに変えた携帯が電源不良で2日で没」,そして入院診断と言った具合に,悪いことは纏めて起きるものですね.それにしても,横浜○員保険病院の整形外科の先生に「来週は癌で入院するのでこられません」と言ったときには先生も驚いていましたね.10月末までに知っていたのは家族,教室の先生方,学長,副学長のみ,有○先生は何となく気がついていたような気がする.影響が大きい人の一人が大和鉄○所の井上さんであることは分かっていましたが,黙ってました.ごめんなさい.

入院する病院を何処にするか
 そのまま検査を受けた病院にそのまま入院する選択肢はもちろんあったんだけど,親父殿が死んだ病院であることもあって,また信頼感を若干失っていることもあって,他を探すことにしました.驚いている筈の家内の冷静さは驚くべきで,沈着に対応してくれました.
思い当たるのは,築地のがんセンターを含めていくつかあったんだけど,どうもしっくりこないし入院までに時間がかかりそうなので,まずは,家内の意見で母もお世話になった「世界の」○山先生に意見を聞くことにしました.家内は,最高の判断で,良い仕事をしてくれたと思ってます.ありがとう

まあ結果的に,そのまま○山先生のところの青山一丁目の山○病院にお世話になることになったのは良い選択肢だったと思う.入院期間を通して快適かつ安心して過ごせました.

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